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広島地方裁判所呉支部 昭和51年(ワ)133号 判決 1979年4月25日

原告 川岡美由紀

被告 国 外二名

主文

原告の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、原告に対し、各自金三八二九万八一一三円及び内金三四七九万八一一三円に対する昭和四九年五月一九日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。  2 訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁(被告ら)

1  主文一、二項同旨

2  担保を条件とする仮執行免脱の宣言

第二当事者の主張

一  請求の原因

1  事故の発生

原告は、株式会社読売旅行主催の団体旅行に参加し、団体客二、三〇人と共に昭和四九年五月一八日午前八時ころ自然公園である支笏洞爺国立公園内の登別市登別温泉町所在の旅館第一滝本館裏手にある登別温泉地獄谷(以下地獄谷という。)を散策中、別紙見取図(以下図という。)のレ点において突然表土が陥没したため、原告の下半身が高熱の泥土中に埋没し、その結果両下肢熱傷の傷害を負つた。

なお、原告が右事故現場に至つた経路は、図のおおむね赤線記載のとおりであつて、いわゆる旧遊歩道を進入したものである。

2  被告らの責任

被告らは、公の営造物の設置、管理に瑕疵があつたため、原告に後記損害を与えたものであるから、これを賠償する責任がある。

(一) 公の目的に供される物

被告らは、事故現場を含む地獄谷を支笏洞爺国立公園内にある景勝地として、観光という公の目的に供している。すなわち、観光が公の目的に該当することは、観光基本法前文及び憲法二五条により、観光が国民にとつては生存権の一内容をなすものであり、国及び地方公共団体にとつては観光を発展させ国民生活の安定向上を図ることが憲法二五条二項に直接由来する責務であると解され、かつ、観光基本法一条ないし三条の各規定に観光旅行の安全確保のための施策を講ずるべき義務が規定されていることから明らかであり、被告らは、右の観光基本法の趣旨に副つて事故現場を含む地獄谷を観光という公の目的に供している。

(二) 公の営造物

事故現場を含む地獄谷は、自然公物であることを主要な側面としながらも、その区域内に展望台、新旧遊歩道、天然記念物登別原始林と刻まれた石標(以下本件石標という。)等の人工公物をも有し、地獄谷全域として観光の目的に供されている公の営造物である。少なくとも、旧遊歩道は観光目的に供された道路という公の営造物にあたる。

(三) 公の営造物の設置、管理の瑕疵

(1)  事故現場を含む地獄谷は、講学上被覆裂か状温泉と称せられる。すなわち、一地域内の多くの温泉が火成岩や古い地質時代の水成岩の割れ目から直接湧出している真裂か状温泉の上部を薄い表土層が覆い、その表土層を通して水蒸気と熱水が湧出する形状の温泉である。そして、地獄谷には谷の中央部をその延長方向に沿つて幅約一〇〇m、長さ約四〇〇mの高地温地帯が存在する。この高地温地帯の上にすべての湧湯口、噴気孔があり、それらは刻々移動し、地表からその推移をうかがい知ることができない。この高地温地帯は地下一mの地点で摂氏九〇度以上の高温状態の危険地域であるにもかかわらず、その表面は薄い表土層と温泉沈澱物により覆われ、一見すると安定した地盤であるかのような錯覚を来たす状態であるため、その上を人が通行するときは表土が陥没し、熱傷を負う危険性の高い地域である。

(2)  右のとおり、地獄谷は地質の構造上ほぼ全域が陥没により熱傷を負う危険性の高い地域であるのにかかわらず、地獄谷を訪れる観光客が多数にのぼつている。そして、事故当時地獄谷には、その入口附近に旧遊歩道が存在し、泉源管理のための人道として利用され、一見すると地獄谷への観光コースと錯覚し得る状況にあつた。

(3)  被告らは右事実を知りながら、事故現場及び旧遊歩道へ観光客が立入ることができないよう旧遊歩道入口附近に観光客の進入を防止するに足る壁又は柵などの工作物を設置し、立入禁止の標識を設置し、鉄線を張り、或いは監視人を配置すべきであるのにかかわらず、いずれもこれを怠つたものである。したがつて、公の営造物の設置、管理につき通常有すべき安全性に欠ける瑕疵があつたというべきである。

(四) 各被告の責任

(1)  被告国の責任

被告国は、事故現場が国有地であり、かつ、支笏洞爺国立公園の区域内にあることから、環境庁設置法四条七号、環境庁組織令一四条の二第三号の規定により地獄谷又は旧遊歩道を維持管理しているものであり、右各営造物の管理者として国家賠償法(以下国賠法という。)二条一項に基づく責任がある。

(2)  被告北海道(以下被告道という。)の責任

被告道は、地獄谷が文化財保護法二条四号、六九条一項にいう天然記念物である原始林の区域内に含まれており、同法九九条一項、各都道府県の区域内に所在する文化財につき文化財保護委員会(又は文化庁長官)の権限を各都道府県の教育委員会に委任した件(昭和二九年九月一五日文化財保護委員会告示三八号、同三九年六月二七日同委員会告示四三号、同五〇年一〇月九日文化庁告示一四号)により右区域を北海道教育委員会所管のもとに維持管理していること並びに地獄谷の区域内に新遊歩道及び展望台を設置管理していることから、地獄谷又は旧遊歩道の管理者として国賠法二条一項に基づく責任がある。

(3)  被告登別市(以下被告市という。)の責任

被告市は、地獄谷の区域が被告市の行政区域内にあつて、事故後旧遊歩道入口附近ににわかに立入禁止の立札を設置するなどの行為をしたことにより、少なくとも旧遊歩道入口附近の管理者として国賠法二条一項に基づく責任がある。

3  損害

原告は、事故により両下肢熱傷(第三度)の傷害を受け、昭和四九年五月一八日から六月一二日まで二六日間国立登別病院に入院し、同年六月一二日から昭和五〇年六月二四日まで三七八日間中国労災病院に入院し、同年六月二五日から昭和五一年五月七日まで同病院に通院した。後遺症として、両下肢(臀部以下足先まで)全周にわたり一部ケロイド部分をも有する瘢痕を残して著しい醜状を呈し、両膝、足関節の各機能障碍(屈曲制限)のため、歩行時に踵が地面に接せず、全体重を爪先で支えるので容易に疲労し易い状況にある。

(一) 入院諸雑費 金二〇万一五〇〇円

一日金五〇〇円の割合による四〇三日分。

(二) 付添看護料 金六九万四〇〇〇円

原告の母が、昭和四九年五月一九日から昭和五〇年四月三〇日までの三四七日間、入院中の原告に付添看護したので、一日金二〇〇〇円の割合による合計金六九万四〇〇〇円。

(三) 交通費 合計金二一万八〇〇〇円

(1)  原告が登別市内の病院から呉市の中国労災病院へ転院のために要した交通費金五万円

(2)  原告の両親、実兄らが原告の看護等のためにその居住地である広島県と原告の収容された登別市内の病院との間を航空機等を用いて往復した交通費金一五万円

(3)  原告の母が、昭和五〇年五月一日から同年六月二四日までの四五日間、中国労災病院に入院中の原告を看護するため自宅と同病院との間を往復するのに要した交通費金一万八〇〇〇円

(四) 得べかりし利益 金一五六八万四六一三円

原告は事故当時健康な女子であり、中国労災病院に臨床検査技士として勤務し、昭和四九年には年間金一三八万七四〇五円の給与の支給を受けていたが、前記後遺症により事故前と同様の勤務を継続することは困難となつた。その労働能力喪失率は後遺症の部位・程度、年齢、性別、職種等に照らすと五割とみるべきである。そして、原告は症状が固定した昭和五一年五月七日当時二四歳であつて少なくともじ後四三年間は稼働可能と考えられるから、右の昭和四九年の年間収入額及び労働能力喪失率に基づいて新ホフマン式計算法により年五分の割合により中間利息を控除して原告の得べかりし利益の現価を求めると次の算式のとおり金一五六八万四六一三円となる。

1,387,405×0.5×22.61 = 15,684,613(円)

(五) 慰藉料 合計金一八〇〇万円

(1)  入通院慰藉料 金三〇〇万円

原告は、入院中に生死の境をさまよつたこともあつた。また、現在も両膝関節及び足関節の各機能回復訓練のため毎日通院している状態である。

(2)  後遺症慰藉料 金一五〇〇万円

原告は本件当時二二歳の未婚の女性であつて、前記後遺症(ことに瘢痕やケロイド)による精神的苦痛は極めて堪えがたいものであり、また結婚についても重大な障害となるものである。なお、原告は昭和五一年九月一四日株式会社読売旅行から傷害保険金として九八万円を受取つた。

(六) 弁護士費用 金三五〇万円

よつて、原告は被告らに対し、各自金三八二九万八一一三円及び内金三四七九万八一一三円(全損害額から弁護士費用金三五〇万円を除いた分)に対する事故発生の日の翌日である昭和四九年五月一九日から支払ずみまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する答弁(被告ら)

1  請求原因1のうち、原告が昭和四九年五月一八日午前八時ころ自然公園である支笏洞爺国立公園内の登別市登別温泉町所在の旅館第一滝本館裏手にある地獄谷において、突然表土が陥没したため、その結果両下肢熱傷の傷害を負つたこと、原告が事故地点に至つた経路は図のおおむね赤線記載のとおりであることは認めるが、その余の事実は争う。事故地点は図ソ点である。

2  同2の(一)の事実は争う。原告主張の地獄谷を観光という公の目的に供するというが如き当該物件に対する物的かつ直接的支配とは何のかかわりもない行為によつて、地獄谷の公の営造物性を裏づけることはできない。

3  同2の(二)の事実は争う。仮に地獄谷が自然公物にあたるとしても、国賠法二条一項の営造物には、自然公物は含まれない。すなわち、立法の沿革上同条所定の公の営造物は、民法七一七条所定の土地の工作物に準じて、人為が加えられた施設又は工作物に限られるのであつて、人工の全く加えられていない自然公物は包含されていないと解すべきである。なお、旧遊歩道は元来獣道であつたが、観光客がこの道に従つて観覧するにつれて、自然発生的に遊歩道として昭和三〇年ころまで利用されていた。したがつて、設置者もなければ管理者もなかつたというのが実情である。

4  同2の(三)の(1) のうち、湧湯口、噴気孔が刻刻移動し、地表からはその推移をうかがい知ることができないこと、高地温地帯の表面が一見すると安定した地盤であるかのような錯覚を来たす状態であるため、その上を人が通行するときは表土が陥没し、熱傷を負う危険性の高い地域であることは争い、その余の事実は認める。

5  同2の(三)の(2) のうち、地獄谷を訪れる観光客が多数にのぼつていることは認めるが、その余の事実は争う。

6  同2の(三)の(3) のうち、事故当時旧遊歩道入口附近に監視人を配置していなかつたことは認めるが、その余の事実は争う。

7  同2の(四)の(1) のうち、事故現場が国有地であること及び支笏洞爺国立公園の区域内にあることは認め、その余の事実は争う。地獄谷は、自然公園法に定める自然公園としての支笏洞爺国立公園の区域内に存するものである。しかし、自然公園はいわゆる地域制公園であり、国又は都道府県がすぐれた自然風景地の保護及び利用のため一定の区域を指定し、その区域内においては、風致又は景観を維持するため一定の行為を制限又は禁止して、その保護を図ろうとするにとどまるものであつて、いわゆる営造物公園のようにその物の上に所有権、地上権、賃借権その他の支配権等を取得することなく、かえつて国有財産、公有財産、私有財産の如何を問わず、その財産管理を他の者が行うことを前提として設定されるものである。したがつて、地獄谷が支笏洞爺国立公園の区域内に存することによつて、公の営造物にあたると解するのは相当でない。

8  同2の(四)の(2) のうち、事故現場を含む地獄谷の区域が文化財保護法二条四号、六九条一項にいう天然記念物である原始林の区域内に含まれていること、被告道が新遊歩道及び展望台を設置管理していることは認め、その余の事実は争う。文化財の管理は、文化財が貴重な国民的財産であることから、その現状を維持保存するための規制等を内容とするにすぎず、文化財について所有権などの支配権限を有することに基づくものではないのであるから、所有権、賃借権などに基づく直接的かつ総合的な支配を前提とする国賠法二条一項の管理には該当しないというべきである。

9  同2の(四)の(3) のうち、事故現場を含む地獄谷の区域が被告市の行政区域内にあること、事故後旧遊歩道入口付近に立入禁止を表示した立札を設置したことは認め、その余の事実は争う。被告市は、事故当時、原告の進入経路及びその付近の土地について賃借権などの権限を有しておらず、かつ、右の部分を占有していたという事情もないから、被告市が右の部分を含む地獄谷を事実上管理していたということができないのは明らかである。なお、被告市は、登別観光協会とともに、事故後の昭和四九年六月一五日ころ、旧遊歩道入口付近に立入禁止を表示した立札を設置したことはあるが、これにより事故当時に遡つて被告市が右の部分を事実上管理していたということはできない。

10  請求原因3のうち、原告が昭和五一年九月一四日株式会社読売旅行から傷害保険金として九八万円を受取つたことは認めるが、その余の事実は争う。

11  仮に、地獄谷が公の営造物であるとしても、その管理に瑕疵はなかつた。すなわち、原告の進入した入口付近には木柵があつて、そこには地獄谷の方向を指示する表示板が設けられており、一方旧遊歩道入口への通路の状況や、旧遊歩道の状態は当時観光コースとしての面影がなかつたこと等よりみて、原告が進入した経路を観光客のための遊歩道であると錯覚することは通常予想できないことであるから、旧遊歩道入口付近に監視人を配置する必要はないというべきである。ただ観光客の進入防止のための設備としては、立入禁止のための柵、立札の設置で十分であつたといわなければならない。ところで、事故当時、図ハ点及びチ点にはそれぞれ立入禁止を表示した立札、図イ点とロ点及びハ点とニ点との間には有刺鉄線を横に三段に張つた木柵、更に図ロ点とハ点との間には地上約五〇cmの位置に横に一段の有刺鉄線がそれぞれ設置してあつた。そして、本件事故前には原告の進入経路から観光客が地獄谷に進入したことは殆どなかつた。したがつて、営造物の管理に瑕疵はなかつたというべきである。

12  仮に、地獄谷が公の営造物に該当し、その管理に瑕疵があつたとしても、右管理の瑕疵と事故の発生との間には相当因果関係はない。すなわち、原告が陥没した地点は図ソ点(甲第八号証の二の右下、同号証の三の後ろあたり)であるが、同所付近は特に硫気活動が活発であり、地表各所に空洞が生成し、地中からの水蒸気などの噴気も盛んな地点であつて、地盤が軟弱のため陥没する危険性の極めて高い場所であつたことは通常人なら容易に認識しえたのである。したがつて、普通このような場所において被写体となり、写真撮影をしてもらうことは到底考えられないにもかかわらず、原告はあえて右場所において撮影してもらつていたのである。しかも原告は、不注意かつ不用意にも撮影者新本有以恵の「カメラのピントが合わないため後ろに下がるように」との指示に従つて、後方を何ら確認することなく位置を後退したため表土が陥没し事故に遭遇したのである。そうすると、事故は後方の安全性についてわずかの注意を尽すことによつて回避し得たにかかわらず、原告の不注意によつて発生したものであるというべきである。

第三証拠<省略>

理由

一  事故の発生

原告が昭和四九年五月一八日午前八時ころ自然公園である支笏洞爺国立公園内の登別市登別温泉町所在の旅館第一滝本館裏手にある地獄谷において、突然表土が陥没したため、その結果両下肢熱傷の傷害を負つたこと、原告が事故地点に至つた経路は図のおおむね赤線記載のとおりであることは、当事者間に争がない。

弁論の全趣旨により昭和四九年五月一八日撮影の事故現場付近の写真であると認められる甲第八号証の一、二、三、原告本人尋問の結果(第一回)及び検証の結果によれば、事故地点は図レ点からソ点に至る地点であると認められる。

二  被告らの責任

1  原告が事故地点に至つた経路の状況

前掲甲第八号証の一、二、三、昭和五一年八月二四日撮影の事故現場付近の写真であることに争がない乙第二号証の一ないし一六、昭和五一年一〇月二五日撮影した同様の写真であることに争がない乙第二号証の一七、証人新本有以恵、同富田春枝、同上出義樹、同八木収、同長沼進、同高橋利繁、同古川重信の各証言、原告本人尋問の結果(第一回)及び検証の結果によると、次の事実が認められる。

(一)登別温泉街から権現橋を渡つて地獄谷展望台に通じるほぼ直線の舗装道路がある(乙第二号証の二)。権現橋の手前、東側に高さ約一・五mの黒塗りの木柵が左右にあり(以下木柵(一)ということがある。)、木柵間の開口部の距離は約六・三mある。北寄りの木棚には縦約三五cm、横約七五cmの薄黒地の板に「←地獄谷」と白ペンキで書いた案内板が地上約一・二mの位置に取付けてある(乙第二号証の一)。みぎ木柵間の開口部を入ると川の左側に沿つて未舗装の通路があり、開口部から約七・一〇mで図イロ、ハニの木柵のところに出る。なお右通路の右側には鹿島建設株式会社の仮設建物がある(乙第二号証の二)。原告は舗装道路を権現橋を渡つて真直ぐ進まず、木柵(一)の間を右折してみぎ未舗装の通路に進入したものである。

(二)  イロ、ハニの各木柵は、木杭が立並び、それにバラ線が張つてある。ロハ間の間隔は約七六cmであつて扉はない(乙第二号証の三、四参照)。

(三)  ロハ間から約二九・三〇m進むと湯槽(二)の直前に出る。その間に幅約一・八〇mの川があり、引湯管二本が渡してあり、その上に幅約三〇cm、厚さ約四cmの板が一枚のせてある(乙第二号証の五)。ロハ間と湯槽(二)の間は、みぎ川を除いて幅約四〇cmの踏分け道があり、人工が加えられていない。湯槽(二)の左前方に立入禁止の立札が立ててある(乙第二号証の六)。

(四)  図チ点(湯槽(二)の左前端)から約六三・五五m進むと天然記念物登別原始林と刻した本件石標に出る。その間に幅約一・九五mの川があり、両岸に土止めのための杭が打つてあり、それに土止板が張つてある。川には板が渡してある(乙第二号証の七)。チ点と本件石標間にはみぎ川を除いて踏分け道のようなものがあるが、路面と路外とは判然と区別できない(乙第二二号証の六ないし九)。本件石標から北へ約二二・八五mの地点(図カ点)に湯取入口がある。

(五)  本件石標から事件地点までは約七二・〇五mないし八一・三〇mあつて、踏分け道のようなものは見あたらず、自然のままである。本件石標付近には雑草が生えているが、事故地点付近では植物が見られない。本件石標から事故地点に近づくに従つて薄黒い石ころが多くなり、平坦部分はだんだん狭くなり、かつ、卵の腐つた様な臭気が強くなる。事故地点の右方は丘状になつていて、湯煙を出している気孔がところどころにあり、左方は幅約二mの川で白濁している(以上乙第二号証の一七、甲第八号証の一)。事故地点付近の地表は、石塊、砂利様の小石、赤茶けた土砂、薄ねずみ色の土砂等が混在している状態であり、更に湯煙りがあがつており、一見して表土が陥没しそうなところがある(甲第八号証の二、三)。

以上の事実が認められる。証人新本有以恵、同富田春枝、同古川重信の多証言及び原告本人尋問の結果(第一回)中、右認定に反する部分は採用できないし、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

2  右認定の原告の進入経路、事故地点及びそれらの付近が国又は公共団体の特定の公の目的に供されている有体物(公物)にあたるかどうかについて判断する。

(一)  被告らが原告の進入経路、事故地点及びそれらの付近を所有又は管理しているか

被告国が右各場所を所有していることは当事者間に争がない。なお、成立に争のない乙第一号証、乙第三号証、乙第四号証、証人高橋利繁の証言によれば、被告国が事故当時株式会社第一滝本館に対し、おおよそ木柵(一)から図イロ、ハニの各木柵までの間及びその付近一帯を建物、庭園敷として有償貸付していたこと、被告国が事故当時登別温泉株式会社に対し、おおよそイロ、ハニの各木柵の外側から図<31>あたりまでの間及びその付近を引湯管及び貯湯槽敷、引湯管通路及び護岸敷として使用許可していたこと、原告の進入経路は、登別温泉株式会社の作業員が泉源管理のため通行の用に供していたことがいずれも認められる。右認定を覆すに足りる証拠はない。

被告道、被告市が事故当時原告の進入経路、事故地点及びそれらの付近を管理していたと認めるに足りる証拠はない。なお、原告は、被告道は右の場所が天然記念物である原始林の区域内に含まれ、同区域を北海道教育委員会所管のもとに維持管理していることにより、また被告市は右の場所が被告市の行政区域内にあることにより、それぞれ右の場所を管理している旨主張するが、文化財保護法による天然記念物の指定又は行政区域の設定はいずれも対象物件に対する所有権、地上権、賃借権等管理権の根拠となるべき権原の取得を伴うものではないのであるから、原告の右各主張はそれ自体失当というべきである。

(二)  原告の進入経路、事故地点及びそれらの付近が特定の公の目的に供されていたか

右場所は観光という公の目的に供されていたと原告は主張する。

しかして、原告のいう観光という用語が何を意味するかは明らかでない。そこで一般の用語例に従うと、観光とは他国・他郷の風光・景色を見物し、または文物・制度などを視察することを意味するものと考えられる。ところで本件との関係では専ら他郷の風光・景色を見物することが問題となるが、このような意味における観光は、如何なる意味においても公の目的という概念に該当するものではない。けだし、国賠法二条一項のいわゆる営造物責任は、民法七一七条の規定するいわゆる工作物責任をその基礎としてこれを発展させたものであつて、一般公衆の使用に供せられている有体物の設置管理に瑕疵があることにより一般公衆に損害が生じた場合に、これを賠償すべき責任を国又は公共団体に課すことにより、生じた損害を填補しひいては公の営造物の安全性を確保することが立法の趣旨と考えられるが、観光という主として視覚的な利用方法については、利用者たる一般公衆にその利用に基づいて損害が生ずることは考えられないのであるから、営造物責任に関する限り、観光を公の目的として考えることは無用のことというべきであるからである(もちろん、旅行者が観光旅行の際、道路を通行中、道路のくぼみに落ち込んで傷害を受けたときには、営造物責任が問題となることは考えられる。この場合には道路が一般公衆の通行という公の目的に供用されているために営造物責任を問うことができるのであつて、道路を観光のために利用したことにより営造物責任を問うことが可能となるのではない。)。したがつて、原告の前記主張は理由がないものといわざるを得ない。

しかして、右の(一)で認定のとおり原告の進入経路は事故当時株式会社第一滝本館及び登別温泉株式会社が被告国から借受けて使用していたものであつて公衆の用に供されていたものではない。

(三)  原告の進入経路が公の道路であるか

事故当時原告の進入経路が旧遊歩道として公衆の用に供されていた道路であると原告は主張する。なるほど、証人新本有以恵、同富田春枝、同古川重信の各証言、原告本人尋問の結果(第一回)には右主張に副うところがあるけれども、前記二の1の事実及び二の2の(一)の事実に照らし採用できない。他に右主張事実を認めるに足りる証拠はないから原告の主張は理由がない。

(四)  以上の事実によれば、原告の進入経路、事故地点及びそれらの付近が公の営造物であることを前提とする原告の本訴各請求は、その他の点について判断するまでもなく理由がないものというべきである。

三  なお、本件事故について

事故地点を含む地獄谷は、講学上被覆裂か状温泉と称せられ、一地域内の多くの温泉が火成岩や古い地質時代の水成岩の割れ目から直接湧出している真裂か状温泉の上部を薄い表土層が覆い、その表土層を通して水蒸気と熱水が湧出する形状の温泉であること、地獄谷には谷の中央部をその延長方向に沿つて幅約一〇〇m、長さ約四〇〇mの高地温地帯が存在すること、この高地温地帯は地下一mの地点で摂氏九〇度以上の高温状態の危険地域であるにもかかわらず、その表面は薄い表土層と温泉沈澱物により覆われていることは、いずれも当事者間に争がない。

前掲甲第八号証の二、三、乙第二号証の一ないし一七、成立に争のない甲第三号証、証人新本有以恵、同富田春枝、同八木収、同田辺幸一、同長沼進、同小沢隆信の各証言、原告本人尋問の結果(第一回)及び検証の結果によれば、地獄谷を見物する観光客は一般に原告の進入経路を通らず、登別温泉街から権現橋を渡つて地獄谷展望台に通じる舗装道路を利用すること、原告は株式会社読売旅行主催の団体旅行に参加し、事故当日は自由行動日で地獄谷及び熊牧場を各自見物するという日程になつていたこと、原告らは事故当日より前にバスガイドから地獄谷は自殺の名所であるという説明を受けていたこと、原告は新本有以恵、富田春枝、悦喜日出子及びその子の合計五人で前記原告の進入経路を通つて事故地点に至つたこと、事故直前に新本有以恵が写真機を持つて山側に立ち、原告は事故地点近くの川側に立つて記念写真を写してもらおうとしていたこと、原告は新本有以恵の指示に従つて足下を確認することなく不用意に後ろか又は横に移動したため両下肢のほぼ全部が土中に埋まり事故にあつたこと、新本有以恵は事故地点付近ではつねに足下に注意して歩行していたことがいずれも認められる。証人古川重信の証言、原告本人尋問の結果(第一回)中、右認定に反する部分は採用し難く、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

以上の各事実に前記二の1の事実(原告が事故地点に至つた経路の状況)を合せ考えると、原告としては、図ロハの地点又はヘトの引湯管の上に置いた渡し板の直前に至つたとき、路面及び渡し板の状況並びに周囲の状況からして通常の観光道路から外れているのではないかと疑つてみるべきである。図リヌの渡し板に至つたときも同様である。更に本件石標あたりから先は踏分け道のようなものさえ見あたらず、雑草も生えておらず、ところどころ湯煙りがあがつているところもあるのであるから本件石標あたりで引返すべきである。しかるに、原告は本件石標から少なくとも約七二・〇五mも奥の事故地点に進入したばかりか、付近の地表は、石塊、砂利様の小石、赤茶けた土砂、薄ねずみ色の土砂等が混在している状態であり、更には湯煙りもあがつており、一見して表土が陥没しそうなところがある危険地域であるのにかかわらず、記念写真を写すため新本有以恵の指示するまま足下を確認することなく、後方又は横へ移動したため本件事故に遭遇したものである。そうとすれば、事故は原告が漫然と危険地域に進入し、かつ、通常為すべき注意を払わなかつたことによつて生じたものというべきであり、その責任は専ら原告自身にあるといわざるを得ない。

四  結論

以上のとおりであるから、原告の被告らに対する本訴各請求はいずれも棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 竹田國雄 森田富人 志田洋)

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